子持ち家族がコロナに感染したら大変だった話~身内編~

コロナ感染

こんにちは、メガネ子です。私自身がコロナに感染してしまった時の事です。夫婦+子供2人の4人暮らしの時の別居前です。少々長くなりますが、コロナに感染した事を綴っていきます。

コロナ感染発覚

今思えば予兆だった・・・?

感染発覚の前日からどうも頭痛が激しいと思ってはいたものの、いつもの肩こりから来る頭痛かなぐらいにしか感じていませんでした。その日は休日で実家へ子供たちを連れて帰っていました。その時から頭痛がしていたため、頭痛薬をもらい私はずっと横になっていました。一日しんどかったため、帰宅後念のため熱を測ってみると37.2度か3度くらいでした。熱が出ることは滅多にないため早めに寝て次の日も熱が下がらないようなら仕事を休まなきゃいけないかな・・・と正直コロナへの危機感はありませんでした。

翌朝熱を測ってみると、38度。これはやばいと思い、職場へは休みの連絡。次男の保育園への送りがしんどかったので、長男に「お母さんしんどいから、お父さんに次男を保育園へ連れてってと言って来て。」とお願いしました。(※店舗兼住宅のため、1階が事務所<義父母経営>になっており、夫はそこで仕事をしています。)長男が戻ってきて、「お父さん忙しいから無理!」だって。まぁ予想通りっちゃ予想通りでした。一応まだ営業時間ではありませんが、融通の利かない自営業ですからね。お願いした私が馬鹿でした。とりあえず、次男を登園させ、帰宅しました。

病院へ行き抗原検査

まずは病院探しから。コロナを疑う症状が出たらどうするか・・・とか下調べをしていませんでした。やはりどこかで自分は感染しないだろうと自負していました。(外食もしない、遊びに行かない、普段の買い物(週一)ぐらいで控えていたので)

とりあえず、コロナの相談センターみたいなところへ電話→かかりつけ医へ電話(そこではPCR検査が出来ないので、もし検査希望ならHPから検査が出来るところを探して受診をして下さいと言われる)→検索して総合病院へ電話(時間指定をされ、行く)→→離れたプレハブで検査(この時は確か抗原検査)。検査の前に看護師さんへ自分の状態を伝えると、「おそらく陰性だとは思うけど、職場で調べなきゃいけないとか、気になるようなら検査を受けたらいい」と言われました。この時検査を受けない選択をしていたら・・・ゾッとします。自分自身熱は出たけど、【検査結果は陰性でした】と証明がしたかったので受けることにしたら、まさかの陽性・・・。結果を聞いたときはが出ました。なんで私が・・・職場で一番・・・どうしよう・・・。頭の中はパニックですが、「また保健所から連絡があるのでどこにも寄らずに帰るように」と看護師さんに言われました。

帰宅後・・・とりあえず、保育園へ連絡。私ではない人がお迎え来て下さいとの事。(そりゃそうですよね。)1階に義母がいるため、電話で事情を話し、お迎えを頼みました。小学校へも連絡。すぐ帰る用意をさせて保健室で待っててもらいますとの事。すると義母が夫に連絡したのでしょう、夫から私へ連絡があり、「次男を迎えに行けばいいん?」と。さすがにコロナに感染したとなると忙しいからお迎えは無理!とは言いませんでしたし、義母から言われたら従うのでしょう。長男もお迎えに行ってもらいました。

自宅待機~療養施設へ

私の症状は発熱頭痛があり、発覚した日が一番しんどかったように思います。保健所から連絡があり、これからどうするかの相談、症状が出た日より約2週間前までの行動歴(どこで誰と何をしたか)を報告。私がコロナに感染したのは今年の春で、感染者数が増えている時ではありましたが、入院出来ないとか療養施設に入れないとかいう程の逼迫は、幸い無い時期でした。自宅待機か療養施設か・・・長男は自分のことは大体出来ますが、まだ次男が2歳でしたので、普段面倒を見ていない夫に任せるのは心配でした。でも私が自宅待機することによって子供たちや夫への感染リスクが上がるのは確かなので、私が療養施設に入ることにしました。それに自宅は部屋が2部屋(寝室とリビング)しかなく、感染を防ぐのはとても難しいと判断しました。学校や保育園も休まないといけないし。職場へも連絡し、しばらくお休みを頂くことになりました。夫と子供たちは濃厚接触者となり、2週間の自宅待機。私は次の日より、療養施設へ入所することになりました。

療養施設(ホテル)での暮らし

私一人の時の様子

10日分ほどの宿泊の準備をし、(コインランドリーはあるので洗剤・柔軟剤は持って来てください、wifiも繋がります、3食の食事は出ます、等々保健所の方から指示が出ます。)自分の車で療養施設まで運転して行きました。療養施設の近くで保健所の方と待ち合わせをして、施設まで誘導してもらいました。(この時保健所の方はタクシーに乗り、私が後ろを着いて行くという形。)施設にいるスタッフの方たちは私の荷物に触れる事が出来ないので入口で施設内の説明を受け、全て自分で荷物を持って一人で移動。部屋へ入り、部屋の電話が鳴り、これからの過ごし方の説明等を受けました。基本、人に会うことはありません。物の受け渡しも廊下の一角に棚があり、そこに置いてくれます。アメニティーやゴミ箱、飲み物、ちょっとしたお菓子なども置いてくれていて、飲食に困ることは全くありませんでした。

毎日1日3回の検温とパルスオキシメーターで動脈血酸素飽和度脈拍を測ります。連絡があり、報告をします。1日中閉じ込められているストレスは結構きついものがありました。テレビ見放題、動画見放題ですが、子供たちがちゃんと過ごせているのか・・・心配は尽きませんでした。

長男がPCR検査2回目で陽性反応~義母とのバトル

私が陽性と分かった次の日ぐらいだったと思います。濃厚接触者である子供たちと夫がPCR検査を受けて3人とも陰性だったらしくホッしたのも束の間・・・その1週間後ぐらいに2回目の検査長男だけ陽性との事。どうしようか・・・自宅待機も難しい。まだ小学校1年生なので、一人で療養施設で過ごすのも無理だし・・・。保健所の方には、この時私はあと2~3日で退所予定だったため、残りの日数のみ長男と一緒に施設で過ごして、退所後は自宅待機をすることを提案されました。私が長男と一緒に入所出来る期間を延ばしてもらえないか尋ねたところ、それは無理とのこと・・・。(私は10日過ぎればもう退所しないといけないそうです。)—–悩んだ結果、ダメ元で陰性である次男と夫が義父母宅で過ごしてもらい(1階と2階で分かれて暮らせないだろうか・・・)、陽性である私と長男が自宅へ戻るというのはどうだろうかと夫へ相談しました。すると、義父母へ(夫からしたら実両親)言ってみるとの事。まぁ無理なら断ってくるだろうし、・・・その後夫から返信あり、OKとのこと。良かったーと思っていたら、義母から電話が鳴りました。

義母が『家族だから、孫だから見ないといけないと思ってるけど、従業員かかえてるんよね。』(※ちなみに義父母は自営業を営んでおり、夫もそこで一緒に働いていて従業員は3,4名います)陰性であるけど二人は濃厚接触者だから不安はある・・・というリスクを受け入れて引受けてくれたのかと思っていたのに、冒頭いつもの経営者側の言葉。私は、ここ数日間の閉じ込められているストレス、職場へ迷惑を掛けているというストレス、子供たちはちゃん面倒見てくれているのかという心配からのストレス等々・・・が溜まっていました。こんなにストレスが溜まる生活を送っているのに、義母から「体調どうですか?夫がいなくても会社が潰れないように頑張ります」という毎日来るラインにうんざりしていました。義母の言い分も今となれば(冷静に考えれば)分からなくもないですが。。。でも、この時の私の精神状態は普通ではありませんでした。あまり使いたくない言葉なのですが、これは本当に感染した人でないと気持ちは分からないと思います。

義母へ私が、「リスクを受け入れての返事だと思ってたのに、もういいですっ!!」と怒って言うと、義母:『私が保健所へ電話してみるから、番号教えて!』と。私:「私が保健所の人に(長男と一緒に施設で過ごせないか)言っても無理だったので、無理だと思いますよ!」と強めの口調で言いました。

その後、保健所からは「自宅待機が難しいようなら長男が入院するというのもあります。」と。義母の件と入院の件を夫へ言うと、「どっちの言い分も分かるけど、(義母への)言い方に気をつけろ!今まで私に従ってきたんだから入院するか、自宅待機にするか自分で決めろ」と。は?私に従ってきたとは??・・・意味が分かりませんでしたが、このように夫は私と義母の仲裁が出来ません。しかも自分で決めろ=俺は関係ない=逃げたな、と思いました。【嫁姑の争いなんて、夫は私の見方について(ついてなくても)、私をなだめる言葉をかければ上手くいくことがほとんどなのに、今まで何一つ私の見方になったことはありません】

もう入院させるしかないかなと思っていたところ、保健所から連絡があり、「今回は特例で長男が退所するまで母親の私も一緒に入所していて構わないです」との事。義母が騒いだようです。。とても有り難い話と同時に、義母の『私が言ってあげたお陰よ』という自慢げな顔と、退所後何度も何度もこれみたことかと言ってくる様子が目に浮かびました。

義母からの差入れ①

長男がお泊まりセットを持って施設へ来たと同時にツインの部屋へ移動。持ってきた荷物の中に義母からと思われるお菓子やジュースの差入れと手紙。差し入れは本当有り難いですが、バトルをした後ですので手紙を読むのがすごく嫌でした。手紙には、また「会社が潰れないように頑張ります、家族で協力して乗り越えましょう、長男(孫)をよろしくお願いします」と書いてありました。”私がコロナに感染したせいで”会社が潰れると言いたいんでしょうね、そればかり言ってきて、精神的に追い詰めてきます。実際夫が仕事が出来ないだけで、他の従業員の方に負担は掛かりますが、潰れるまでいかないと思います。夫が主戦力ならともかく、そうでもないの私知ってますから。

義母からの差入れ②

長男が入所してからの週末、義母から差入れしたいとラインが来ました。正直、施設では動くことがない(部屋の中でストレッチするぐらい)のでお腹も空かないし、3食の食事も多すぎるぐらいなので本当に申し訳ないんですが捨てたりしていました。お菓子も廊下に出れば自由に貰えるし、施設の方が気を遣って長男のためにゼリーやアイスを買って来てくれたりしました。施設の方々には本当に頭が上がりません、感謝しかないです。なので、義母にも食べ物には困っていない、捨てているぐらいなので要りません。と返信していました。・・・ところが、早朝フロントから電話が鳴り、お婆様から差入れがあるので棚に置いておきます、との事。取りに行き部屋で袋の中を開けてみるとタッパーがありました。タッパーをあけてみると沢山のおにぎり卵焼き・・・。え?私のライン読んだでしょ(既読済)・・・。食べ物要らない言うたのに・・・。しかもなぜおにぎり?生ものとか日持ちしないし。有り難いですけど食べれないって言ってるのに!

そして、また手紙が・・・。長男と私宛・・・。長男へは頑張ってねみたいな文。私宛には・・・分かりますよね?ほら来た!「会社が潰れないように頑張ります。」いい加減にしてくれ。。。私をどれだけ追い詰めたいのか・・・私が遊び回ってコロナに感染したならともかく、隔離中の私をどうしたいんでしょう。精神的におかしくなりそうでした。

長男との過ごし方

義母のことはさておき、長男と10日間ほど施設で過ごしました。次男が生まれてからというもの、やはり次男に手が掛かるため長男と二人でじっくり過ごすということは出来ていませんでした。隔離はしんどいですが、前向きに取るとせっかくの機会だから長男とゆっくり過ごそうと思うことにしました。長男は学校から自宅へポストインしてくれていた配布物を何日分か持ってきていたので、勉強する時間を設けました。音読、漢字、計算・・・。入所が3月だったので新しく習う学習がなくて本当に助かりました。休んで授業に遅れるというのは、小学1年生だとしても本人に負担がかかってしまうだろうし。勉強が終わればあとは自由時間。あまりにも暇になってしまうので、この時よりYouTube鑑賞を解禁してしまいました。(私的にはあまり見せたくなかったのですが時間を持て余してしまうので・・・)あとは自宅から持ってきていたラキューというおもちゃで色んなものを作ってみたり。(パズルブロックのおもちゃです)普段全然私は遊んであげられていなかったので、一緒にラキューをする時間は貴重に感じました。

日が経つに連れ、長男も自由に動けないから早く帰りたいと言うようになり、「あと○日で帰れるよ~」と言いながら何とか退所日まで耐えることが出来ました。隔離生活は大人でも参るのに、私のせいで感染してしまった子供にこんな経験をさせてしまい、心底、心が痛みました。

後記

私がコロナに感染してしまった時(2021年3月)は、まだワクチン接種も始まっておらず、全国的に医療逼迫する前でした。有り難いことに療養施設にも希望すれば入所出来、特例で子供と私と一緒に入所させて頂けました。長男も熱も特になく、鼻水・咳が出る軽症で済みました。保健所の方や施設の方々には本当に感謝しかありません。私自身発熱という症状が出たから感染が発覚出来たものの、無症状だと検査も受けないだろうし、気づかないままに家族や職場等にウイルスを撒き散らしてしまっていたかもしれません。予兆→発熱→検査→自宅待機~療養施設とスムーズに進められたのも医療機関・保健所・施設の方々のお陰だと思っています。

私以上に大変な思いをされている方はもっとおられるかと思いますが、私でさえ大変でした。やはり勝手が分からない分、戸惑いもありますし、人に感染させてしまうというのが一番厄介だと思いました。濃厚接触者になると、2週間自宅待機になり身動きが取れないので、周りにも迷惑が掛かってしまう。人に感染してしまうから隔離生活をしないといけないし、直接的に周りの人の手を借りる事が出来ない。小さい子供を抱えていると本当に大変です。自宅待機になると尚更・・・。感染しないのが一番ですが、感染した時のことを今一度考えておく必要があると思いました。

義母とのバトルですが、自営業を営まれている方なら義母の言動が正しいと思われるかもしれませんが、私はサラリーマン家庭に育ち、自営業というものが全く分かっておらず結婚しました。約10年間、自営業を営む義父母・夫を見てきましたが、どうも受け入れることが出来ませんでした。郷に入っては郷に従えということわざもあるように嫁いだなら受け入れないといけないのが当然なのでしょうけど・・・色々ありました・・・。だから別居にも至っております。自営業の嫁だった事についてもまた書きたいと思います。

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